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2014年2月 7日 (金)

中等部2年 職業調べ講演会 歌手 一青窈さん

1月15日(水)、中等部2年生の「合同HR」は、来る2月20日(木)に予定されている「合唱コンクールの学年練習」という様相で始まりました。学年代表の指揮者と伴奏者が舞台に上がり、共通の課題曲「心の瞳」を5クラス全員で練習をし始めました。一回通しで歌い終えた後、司会の学年主任が「では本日はここで講評を専門家にお願いしてあります。」という前フリの後、突然、「ハナミズキ」がBGMで流れ始めました。最初、生徒たちはきょとんとしていましたが、ほどなくして何人かが騒ぎ始めました。そこに登場したのは歌手で第77期卒業生の一青窈さん。一青さんは、笑顔で手を振りながらステージへと向かいました。「先輩」一青さんの第一声、「みんな、覇気がなかったぞ。歌は楽しみながら歌うといいよ。」はとても印象的でした。一青さんの森村生時代の合唱コンクールの思い出や、課題曲の作者坂本九さんのエピソードも交えて、実際に「心の瞳」をご自身で歌いながら、上手に歌うコツを数々披露してくださいました。さて、歌の練習はここまで。ここからは本来の目的である「職業調べ講演会」に入りました。 

~作詞を始めたきっかけは小学生の時。詞を書いたら教室のボックスに入れるということがありました。『自信をください』という詞を投稿しました。クラスの仲間が騒ぐ中、先生が言った一言、「よい詞でしたね。」この一言が自信となりました。中高時代は、趣味の作詞を続けながら、バスケットボールと美術部、行事等で楽しい日々を送っていました。しかし、クラスの友人が事故で下半身不随となってしまいました。いつも仲間を励まし、盛り上げていたその友人の境遇は他人事とは誰も思えなかったのです。みんなで代わりにノートをとったり、どうずれば車椅子でも学校生活が送れるか必死で考えたり…、一青さんの心の中に「人を助ける」という意識が芽生えました。更に転機が訪れました。既に小学校2年生でお父様がお亡くなりになっていました。寂しい思いの一青さんの心の穴を懸命に埋めてきてくれた最愛の母が末期のガンに襲われました。日に日に衰えて行く体、失われていく体力。そんな中、一青さんはお母様の大好きな森公美子さんのコンサートにお母様を招待しました。するとお母様にみるみる力が蘇ってきました。「音楽ってこんな力があるんだ。ならば自分は音楽で人を助けたい、役に立ちたい、人々を元気づけたい。」一青さんの夢の方向性は決まりました。後は、それを進路につなげることでした。音楽療法のある病院を建築しようと建築学科を考えたり、音楽で人を元気にする仕事が学べる学科を探したり…。入学した慶應義塾大学では、アカペラサークルで歌を歌い始めました。高等部時代に見定めた生き方の方向性がいつも指針になってくれました。車椅子の人もおしゃれになれるようなファッション雑誌を作るボランティアをしたり、車椅子の人の介助者として社会を見たり、聾唖者の方々の前で歌ったり…。人を元気づけたい、助けたい。これが原点でした。そんな活動が、芸能事務所の社長の目に留まり、今につながっています。~ 

あっという間の50分間でした。一青さんの言葉の中に繰り返し強調されていることがありました。それは、「喜んでくれるひとのために頑張る」「誰かを助けたい」「人の役に立ちたい」。憧れの「大先輩」が語る一言一言に、中等部2年生たちは真剣に耳を傾けていました。

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一青さん、ご入場(生徒はびっくり) 合唱コンクールの練習①(男子の指揮者とともに) 合唱コンクールの練習②(一青「先輩」のご指導に応える生徒たち)

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一青「先輩」のお言葉を真剣に聞き入る生徒たち